30代で突然亡くなったご主人の話
当院の患者様にはたくさんのことを教えられます。
どんな人も大切な家族や親族、友人を亡くした経験があるもの。
様々な経験から、人生で大切なことを考えさせられます。
先日施術させていただいた50代のご婦人は一人暮らし。
「子供も独立したし、好きな時間に好きなことができて楽だわ―」
と明るくお話していました。
施術しながら何気なく「ご主人はご病気だったんですか?」と聞いてみると、
「仕事中の事故で亡くなったの。機械の間に挟まれて・・・」という答え。
もう20年くらい前で、お子さんが5歳と3歳の時、
いつも通り「行ってきます」と明るい笑顔で出かけたはずが、突然の事故死。
その日から数日間の記憶が全くないと言っていました。
非の打ち所のない優しい人だったそうです。
奥さんを思いやる良い夫であり、休日はベッタリ子どもと遊ぶ良きパパ。
建設現場で働いていたご主人は、自分の操作ミスで帰らぬ人となってしまったのです。
明日ありと思う心の仇桜
「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」
というのは浄土真宗の開祖、親鸞聖人のことば。
9歳で読んだ歌なんだとか。
幼い時に父母を亡くし、出家を願い出て得度したときのこと、
剃髪しようとしている姿を見た周囲の人が
「時間も遅いし明日にしてはどうか」と言ったときに返したのがこの歌だそうです。
(9歳でスゴすぎますよね)
明日咲いていると思っている桜も、夜に嵐が来て散ってしまうかもしれない。
明日に延ばさず、今日やって欲しいという意味です。
「明日は何をしようかな」と当たり前に思っていても、
何が起こるかは誰にもわからないのです。
健康オタクになり、「これを食べると病気になるかもしれない」なんて怯えながら生活していると、逆にストレスが溜まりそう。
「明日死んでも悔いはない!」というくらい今日1日を充実して過ごしたいものです。
「いかに永く生きたかではなく、いかに良く生きたかが問題だ」というのはローマの哲学者が言ったこと。
短命だと「かわいそうに」と言われ、100まで生きれば「大往生」というのが日本の常識。
しかし冒頭のご婦人は、成人したお子さんと共に今でもご主人を愛し続けています。
「かわいそう」というのは残された人に対する第三者の勝手な思い込みであって、本人達はそんなこと思っている様子はありません。
生前、精一杯奥さんを愛し、子どもさん達を大切に育てていたご主人だから、その命は今でも輝いています。
突然明日命を失っても、悔いのない日々を過ごしたいものです。